蒼夏の螺旋

    “ママは何でも知っている”
 


 台風並みの威力という強風が、途轍もない寒気団と連れ立って襲い来た、所謂“爆弾低気圧”の印象があまりに大きかったせいで、この冬は随分な厳冬だったように思われているようだが。先日テレビの天気予報で聞いたのが、平均気温という観点で見ると、実は平年並に程近い結果で終わりそうだとのこと。大みそかまでの初冬期や、その爆弾低気圧の前後に割と暖かな期間があったのと相殺されて、そうなってしまうのだそうで。そういや暖かい時期も結構あったし、年が明けるまではどこのスキー場も“このままこの冬は雪が降らないんじゃなかろうか”と冷や冷やなさってたとのこと。幸せだった先週よりも辛かった昨日のことの方が鮮明鮮烈な記憶なものだから、ついついそっちの方が規模的にも大ごとだったように思えてしまうものなんだろか。


 そんなややこしかった冬もそろそろいい加減に腰を上げんとしている、弥生三月に入ったばかりのとある週末。久し振りにぽかぽかといいお日和の1日だったことへと、まだまだ油断しちゃなんねぇぞと思い出させるように、吹きつける風籟の唸りが遠く近く、時折 聞こえて来はしたけれど。それ以外の忌々しい気配はどこにも嗅げず、それはそれは静かな宵のこと。

 「…あり?」

 キッチンに立っていたルフィがちょっぴり頓狂な声を上げた。悲鳴とは程遠いカラーの声だったので、危急のこととは思わなかったものの、それでも新聞記事よりはよっぽど関心を引いたので、リビングにいたゾロが腰を上げたのもまた道理。
「どした?」
「う〜ん。何かちょっと…。」
 流しとコンロ台に挟まれた調理台には、焼き物の砂糖壺やら大ぶりな醤油のペットボトルやらが並べられ、まな板の上にはジャガ芋やニンジン、タマネギの皮。今夜のメニューはどうやら肉ジャガと、オーブンから立ちのぼる芳ばしい香りをまとわした焼き魚というところらしくって。相変わらずに小柄な奥方、自分よりも上背のある夫を見上げて、
「味見のし過ぎかな、判らなくなった。」
「?」
 彼が向かい合っているのはホウロウの両手鍋。ほどよく炒められた乱切り野菜に、関東では豚肉が多いらしいが、こちらのお家は牛肉を使うらしいのが、ひたひたのおだしの中で煮え始めているところ。それをお玉で掬っては、味の微調整をしていた奥方らしいのだが、何度も味見をし過ぎたのだろか、とうとう微妙なその塩梅というのを見失ってしまったようで。
「味つけが、か?」
 訊き直したゾロへ、こっくりと。いかにも子供っぽくも頷いてみせたものの、
「しょうがねぇ。」
 どうしたらいいのだろうとは言い出さず、手にしていたお玉をやや乱暴ながら、流しの桶へと放り込むと、ぱたたっと駆けてったのが…玄関手前の予備室へ。
「ルフィ?」
「あ。火加減、弱くしといてっ!」
 何の何をとまで言われずとも、傍らにいてのあの会話の直後だ、そこは判ったゾロだったけれど。鍋の火を弱め、ついでにグリルの魚の様子も見てから、何ごとだろかと後を追えば。デスクへ据えられたPCを立ち上げていたルフィだったりし。

 “チャット?”

 速攻でつながる特別な回線。その動作手順も、それからデスクトップに現れる画面の仕様も、見慣れた光景なのでピンと来たものの。ただ、向こうさんは…時差の関係でとんでもなく早朝にならないかと案じたところが、

  【 よぉ、ルフィ。そっちはいい晩かな?】

 ンパッと切り替わった画面へ登場なさったは、とんでもない画素やら先進の解析・再生プログラムのお陰様、間近い都内のスタジオからの映像かと見まごうばかりの反射速度となめらかな動きの画像にて映し出された、

 「サンジっvv」

 ルフィ奥様が何かと頼りにしている、実家の母上こと、サンジェスト=バラティエ氏だったりし。さらさらの金の髪も青玻璃もかくやという涼しげな目許といい、ハリウッド俳優だと言っても通用しそうな、クールなタイプの若々しい二枚目さんだが。そんな風貌だってことを大きく裏切っての中身はといえば、

「肉ジャガ作ってたら味が決められなくなった。」
【肉ジャガねぇ…。】
 何の前置きもなく、突拍子もないことを訊く方も方なら。訊き返しもしないまま、ふむと視線を下げての瞬きを何度かしたのもほんの数刻のこと、
【塩を足してみな。】
 あっさりと答えを返す即妙さがまた凄まじい。そういう呼吸が出来上がっている彼ららしいのは今更だとしたって、

 “おいおい、料理の味付けの話だぞ?”

 しかも現物を見てもない。実際は遠く離れた君だから、たとえ見せたところで匂いも味も判らないはずとはいえ、せめてだしなどの色合いを見るとか、そういう必要はないのかねと思ったゾロにはお構いもせずに、
「塩? だって醤油はもう結構入れたぞ?」
 これ以上足したら辛くなんないかなと、そこが不安で訊いたのにという声になったルフィへと、
【いいから。あ、少しずつだぞ?味を見ながらな。】
「うん。」
 アドバイスはそれで終しまいということか、にっこり微笑って手を振る貴公子様へ、ルフィも軽く頷き返すと、いやにあっさり回線を切ってしまう呆気なさ。それからそれから、
「ほら、ゾロどいて。」
「あ、おお…。」
 戸口に立ってたのを邪魔だと押しのけキッチンへ戻る奥方であり。まま、鍋とそれから、ご亭主ををほったらかしにして、本腰入れてのお喋りモードに入られてもそれはそれで困ったが、ほんの数分ほどというやりとりの軽やかさ、いやさ素っ気なさにはゾロの方がついつい唖然としてしまったほど。

 『何言ってんの。料理の途中だったんだぞ?』

 話が逸れてその揚げ句、鍋を焦がしちゃ何にもなんねぇじゃんかと。実は…これまでにサンジの側から何度も注意された結果として、身についた“じゃあね”だったそうだと判ったのはその後の晩餐の席にてだったが、

 「塩を、入れてっと。」

 指先でちょこっと摘まんだの、ちょろりと入れてから掻き混ぜて、そのお玉にて味見をし、もちょっとかなとまた足して………。

 「おおっ♪」

 どうやら大きな変化があったらしい。ただならぬ感動を込めたお声が立ち上がり、そのまま…ちょっぴり調子っ外れな鼻歌へとなだれ込んだものだから。納得のいった結果が出たらしかったけれど、

 「そういうもんか?」

 阿吽の呼吸とは正にこのことかというよな、あまりに見事な連携プレイ。呼べば現れ、用が済んだらじゃあねとあっさりお別れを告げての余韻もなし。そのあまりの軽やかさが却って…いつものことだと言わんばかりの深い親しさに感じられ、
「凄げぇだろ〜vv これまでだって こやって訊いてみて間違ってたことねぇもん。」
「うん…。」
 それはそれは率直な物言いをして、むんっと薄い胸を張って見せるルフィには、そういう呼吸なところを見せつけるというよなつもりなど、当然のことながらなかったようで。だが、それを言うなら向こうさんの態度もそんなレベルではなかったか。傍らにゾロもいたことまで伝わっていたかどうかは知らないが、なあなあと訊かれたことへだけ応じたのみならず、単なる字引き扱いされたことへも全く動じずにいたような。それだけの余裕がある態度だったこと、妙に…気になってしまっているゾロで。

 “ふふんと鼻で笑われた方がマシなんかもな。”

 そう来りゃ“浅ましい奴め”とムッと来たそのまんま、こっちも同じレベルの大人げなさを発揮出来たのによ。そうと思っている時点で既に、微妙に大人げないご亭主だったりするんですけどと、苦笑をこらえるのが大変な筆者の心持ちも知らないで、

 「俺が…そうだな、出掛けちまったりしててのそれで、飯の味に迷ったら、
  今みたいにしてサンジに訊くといいぞ?
  俺が作る大概のもんは、サンジに習った味付けのものばっかだし。」

 「…ふ〜ん。」

 その前に…誰かのためにと作るものでもなけりゃあ、そこまで出来や味つけへ神経は使わないものなんですがと。思ってしまった筆者は、もしかして…とことんずぼらな料理人なんでしょうかね? 待ってろよ、凄げぇ美味いのが出来るからと、ご機嫌さんな奥方の元気りんりんに上がっている肩を見やりつつ、ちょっぴり複雑な想いをしちゃったご亭主で。まあまあ、今日は何たって特別な日なんだし、そのっくらいは我慢して差し上げなさいってvv


  「特別な日? ………………あ。」



  
HAPPY BIRTHDAY! TO SANJI!



  〜Fine〜  08.3.02.


  *勿論のこと、おっ母様への贈り物はとっくに、
   郵送とか宅配とかで届けているルフィだと思われます。
   向こうからはとんでもない手段での即日配達が出来るらしいですが
(笑)
   ルフィの側はあくまでも一般市民ですからねぇ。
   なので、
   後になって“あっ、今日ってもしかして!”なんて思い出していたりして?
   時差の関係でまだまだ猶予はあるからね。
   早いトコ“おめでとう”のメッセージを届けておやんなさいね?

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